エッセイ
風呂に沈む
たまに風呂で寝る。
初めて風呂で寝たのは高校2年生の時であまりの疲れに真っ逆さまに眠りに落ちて、気づけば朝だった。
正確には寝ているわけではなく酸欠で失神を起こしているらしい。
風呂寝の初期段階では腕を湯船につけて寝ていた。そのせいで、起きた時、正確には親に叩き起こされた時に手の指がふやふやで昼まで痛かった記憶がある。のちに自然と腕を上げて浴槽にセルフ腕枕して寝るようになった。「風呂自動」がつけっぱなしだと朝までぬくぬくと寝れると思いきや、脱水気味で少しのぼせてしまうため、入眠時にはガスを消しておく。すると徐々に下がる水温が、わずかな寒気と共に鈍い目覚めをもたらしてくれる。
風呂で寝て疲れが取れるのか?その疑問は愚問で、風呂寝歴5年の私も風呂で寝て疲れが取れたことが1度もない。だいたい翌日に昼寝をしたり、風呂を出てもう一度ベッドに横になる。
そして風呂で寝る時は気絶する前段階で、このまま風呂に入っていたら寝てしまうな、と感づく時がある。ここで浴槽を抜け出せば晴れて陸で寝ることができる。つまり疲れも取れずに時間を浪費するか、翌日も生産的に動くか選択を迫られる瞬間があり、そこで怠惰に身を委ねると風呂寝が成立するのだ。怠惰の正体は明日に来てほしくない、今日で満足、十分だからこれで一旦終わりにしてくれ、といった感情である。
風呂で水に包まれて、明日のことなんか忘れて、起きる時間も決めないで、全責任を放棄して、なんとか産まれる前にでも戻ろうとしているのかもしれない。思えば私が産まれた時、2001年9月7日。出産予定日を1週間以上過ぎて、一向に産まれる気配のない私に痺れをきらした医者に帝王切開で引っ張り出された。多分母親の腹の中は居心地が良かったんだと思う。
ただこの世に生を受けた以上、自分の足で歩いて行かなければならない、様々な人に支えてもらいながら歩んでいきたいと思う。でも個性とか社会性とか気遣いとか面白さとか一生懸命積み上げるのがなんとなく無理な日、たまにそんな事実に目をつむりたくなって、そのまま風呂で寝てしまうんだ。
執筆者
文芸学科2年 中村勇仁
この作品は2023年度エッセイ研究Ⅰの実習で制作されました。