小説
繧、繧ク繧ァ繝ェ繝ウ繧シ
新卒社員の名前が文字化けしていた。
彼女の母星・エウリア語のフォントは、弊社のパソコンに導入されておらず。
AIが形だけを見て、彼女が署名したのと似た形の文字を当てはめたらしかった。
「アズ、イジェリンゼ、メロ……」
『社員は誠実な歯車であれ』をモットーに、個人的な交友で生じるトラブルを避けるため、社員の業務連絡以外の相互干渉を避けているわが社も、これには対応せざるを得ず。
タナカ・タキは五年ぶりにスーツを着て本社まで出向き、上司と顔を突き合わせながら、青い肌の半水棲人種の名前を書類にまとめて人事に提出しに行かなければならなくなった。
「長ったらしい名前をしてやがるなぁ。異星人雇用枠なんてもんがなければ……」
窓の外には無限の宇宙。埃一つなく、空気が爽やかなオフィスフロア。
円形型の掃除用ロボットが新鮮な汚れを求めて三人の足元を這いまわる。
機械らしい目的への執念がストレスだったのか、上司はロボットを踏みつけて、「アズ、イジェ――」と口に出しながらホログラムのキーボードで入力していく。
「アズ、は日本語で言うところの『ええっと』に相当する感動詞ですよ。メロ、は敬語表現です。それなりにフォーマルな」
椅子の後ろからモニタを見ていたタナカは慎重な声色で指摘した。
「じゃあイジェ――なんとかが名前か?」
「そうですが……カタカナ入力はやめてください。読みはそれでいいですが、せめて名前の欄は向こうの言語で書かないと。今の時代、『ラグハラ』なんて言葉もあるんですから」
「……そういえば、この前のメトラス人はそれで辞めてたな。理解に苦しむが」
新型ワープエンジンの開発をきっかけに始まった惑星開拓時代と、それに伴う異星文明との遭遇が、歴史の教科書の中頃に押し込められた時代。
宇宙生活、異星人、数万光年規模のワープ。人の社会はそうした異常を次々に飲みこんで常識の中に押しこめていき、いまや恒星間企業でさえ珍しい存在では無くなっていた。
「じゃあどうしろってんだよ」
「私がフォントを作ります。そのためにわざわざ出社しましたから」
「……なんでそれを先に言わねえんだ」
「言いだす機会を窺っていたんですが、なかなか来なくて」
タナカは上司と椅子を代わり、社用パソコンにインストールされているフォント作成ソフトを立ちあげる。そして暇にさせておくと異星人差別的な失言をしそうな上司を「すぐ終わりますから、お茶でも飲んでいてください」と言って遠ざけ、作成に取りかかった。
エウリア語は田舎星の希少言語で、日本語への対応が済んでいない部分も多かった。
やむなく大学以来に英語のエウリア語辞典と睨みあって、新入社員が書いてきた署名の原本と照らし合わせながら、正しい『イジェリンゼ』の綴りを見つけなければならなかった。
「イジェリンゼさん……いや、イジェリンゼ、ハウ、ネムド、メロディア?」
しかし学部時代に齧っていたとはいえ、複雑怪奇なエウリア文字を判別するのは、砂の星に眠る一粒の砂金を見つけだすくらいに難しいことだった。
そのためにありたけの語彙を振り絞って『イジェリンゼさん、この中に貴女の名前に使われている文字はありますか?』と尋ねた。だが上手く伝わらなかったようで、首を傾げられ。
「イジェリンゼ……ハウ、メットロ、ネムド、メロディア?」
結局は身振り手振りを交えながら、補足をしなければならなかった。
「アズ、『イジェ』、メロディア。『リ』、『ンゼ』……」
ゆっくりと喋りながら、イジェリンゼはモニターに映る文字を次々に指し示した。
ときおり雫がしたたり落ちる、湿った細い指を目で追う。照合し、書きつける。
イジェ/リ/ンゼ。
単語の区切りを知り。音でしかなかった名前が、複雑怪奇で区別困難な形を伴って現れる。タナカは制作を『実行』しながらこれではフォントが作られないのも頷ける、と思った。
たったの三単語ながら、恐ろしく書くのが面倒だ。おまけに半とはいえ水棲種族は伝統的に精密機械を使わないから、母語話者が作ってくれる望みもない。
きっとエウリア人を社員として迎える会社は、研修担当は、同じような苦労を強いられるのだろう。補助金のためとはいえ、むごいことをしてくれる。
「アズ、ごめわく、おかけます。しゃない、こうようご、ハウム、まだ、わからなくて」
急に社内公用語の日本語が聞こえてきたので、タナカはマウスを滑らせて、危うくデータを飛ばしかけた。ランゲージ・ハラスメント。このごろ流行りの言葉が浮かぶ。
彼は焦り調子で『無理に社会公用語なんて覚えなくてもいいのですよ。自分の言語を自分らしく話すことが重要なのですから』と丁寧なエウリア語で伝えるが、イジェリンゼは首を横に振った。
「ちゃんと、はなしたい、メットロ、アズ、で、です? ですから。がんばるです」
タナカは地球の南国の海のように澄みわたる彼女のエメラルド色の瞳から、打算のない誠実さを感じとった。親が子供にそうするように、願いを叶えてやりたい気持ちに駆られた。
「わかりました。イジェリンゼさん。これからよろしくお願い致します」
執筆者
文芸学科3年 部屋守常家(へやのかみつねいえ)
この作品は2022年度文芸研究II・額賀ゼミの実習で制作されました。