小説
バリカタの女
アレを最後に摂取したのは、もう三日も前のことだろうか。頭の中がアレで一杯で、何も手に付かない。完全に禁断症状である。健康にも懐にも良くないのは分かっているが、一度アレの味を知ってしまうと、二度と元の生活には戻れないのだ。気が付くと私は、暖簾をくぐっていた。
「いらっしゃいませ」小太りの売人が威勢よく挨拶した。もうすっかり顔馴染みである。
「豚骨ラーメン特盛で」
「今の時間だとチャーハンが無料で付くけど、どうです?」
「もらいます」
待ち時間、私はスマホを見ない。何を見ても、どうせラーメンのことしか考えられないからだ。そのため、大将からしてみれば鬱陶しいかもしれないが、厨房の中を覗き込んで過ごす。周りに注意が向くことは、滅多にない。
「豚骨ラーメンバリカタで、メンマとネギと油抜きでお願いします。あと、気持ち味薄めで」
餅は餅屋という言葉を知らない隣の女性客が、好き勝手な注文をし始めた。メンマが嫌いならそもそもラーメン屋に来なければよいし、ゆで時間の足りていない麺(もはや小麦粉の塊)の一体どこがそんなに魅力的なのか理解に苦しむ。こういう客がいるせいで、大将が混乱し、私のラーメンが出てくるのも遅れてしまうのだと思うと、腹が立って仕様がない。
「あれ? 毒島君じゃん。こんなところで会うなんて奇遇だね」
不意に女性客が私に話し掛けて来た。よく考えてみると、聞き覚えのある澄んだ声をしている。
「も、最上さん?」
「ここのラーメン美味しいよね。食べログでも4だし」
素人が勝手に点数を付けるというシステムが嫌いなので、私は食べログを見たことがない。だが、まあ、評判は良いに越したことはないだろう。
「メンマ嫌いなの?」どうしても尋ねずにはいられなかった。
「私のこと面倒臭い客だと思ってるでしょ」
「そんなことないよ。女子はね、ほら男子なんかより、いろいろと大変だからね」
最上さんが相手だと、具体的なことを何も言えなくなってしまう。
「何それ? 別にいいよ、無理してフォローしなくても。メンマとかネギは歯に詰まるから嫌いなの。それに、今ダイエット中だから油も抜いてもらったの」
「なるほどね。俺も今度試してみるよ」
「絶対嘘。さっきすごい怖い顔してたもん」
「そういう顔なんだよ」
最上さんは、例のラーメンが出てくると、それが冷たくなるまで撮影に没頭していた。どうやら麺が伸びるのを考慮して、バリカタを注文していた様だ。いかにも聡明な彼女らしいと感心しつつ、単なる客の一人にすぎない私が人様の食い方にあれこれとケチを付けるべきではなかったと猛省させられた。言うなれば、私は頭がバリカタだったのだろう。次に来るときは、バリカタを注文して、チャーハンを先に頂くとしよう。
執筆者
文芸学科/辰巳星空
(文芸研究Ⅱ 上坪ゼミ・テーマ「恋心を描く」・2021)