小説
ゆらゆら
「もしも〜し? いま暇なら踊らない?」
いつもの私ならこのような誘いは食い気味で断っていただろう。しかし今日の私は違った。フラリと出掛けたい気分だったのだ。二つ返事で承諾し、電話の主は「珍し〜」と語尾を変に伸ばして笑っていた。
いかにもやんちゃな人混みの中へ足を運び、不慣れな場に泣きそうになりながらも隅っこの方で得意じゃない酒を飲むふりをしていた。電話の主の登場をひたすら待つ。集合時間はもうとっくに過ぎているんだけれど。タバコと酒と人の匂い。ここでしか生まれない匂いが狭い部屋を満たしている。ミラーボールから放たれる光線は知らない人の顔や背中を照らし回り続けている。時々私の方にも光が来るがそのたびに顔を下に向けた。
「ああ、私、ここに何しに来たんだろう」
汚れた地面を見つめそう呟いても内臓が揺れるほどの大きな音にかき消されていく。突然音が止み、顔を上げるとまた新しい音楽が鳴った。みんなみんな当たり前のように踊り方を変え、ゆらゆらと楽しそうだった。もう帰ろう、と思い前を向くと一際光っている少女を見つけた。明らかに若い、でも大人にも見える。冷めながらも熱い何かを持っているようで目が離せなかった。自然と少女と目が合う。私は逸さなかった、少女もまたこちらへ向かってくる。こちらへ向かってくる途中、手招きをした。魔法のような手招きは私をすいすい引き寄せていき、気がつけば店の外に少女と私は立っていた。
「旅に出たそうにしてたから」
と少女は言い、その言葉に何かしら心惹かれた私は彼女の運転する車に乗った。
2人を乗せた車は暗闇を進み続ける。その間少女の話しかける言葉は少なく、私も静かにしていた。この沈黙が心地よかった。車は人気の無い海にたどり着き、少女が先に降りた。遅れて私も彼女の隣に立ち、月の光が絨毯のように敷かれてゆらゆらしている水面を見つめている。
「海の向こうに何がある?」
少女はおもむろに呟いた。それと同時に服のまま海に飛び込んだ。月の光の絨毯を背中で滑りながら少女は私に話しかける。その言葉に私は首を横に振った。
少女は「そっか」と許すように微笑み水平線の方へ体を向けた。そして私には見えない海の向こうの何かに向かって泳ぎ出した。私はなめらかに進んでいく少女を見つめることしか出来ず、やがて彼女は海と一つになり、旅に出たんだと思った。
「それじゃあ、行ってくるよ」
私は海に向かって呟き、来た道を戻る。いつものぬくもりへ帰るために。
(執筆者情報)
文芸学科/野津芽生
文芸研究III(谷村順一ゼミIII・2021)「800文字で書くオノマトペ」