小説
カタカタとガタガタ
日の陰った室内にキーボードの音だけが響いている。ひとつ年下の彼氏が新社会人として働き始めて半年が経った。学生時代、気がついたら私の家に転がり込んでいた彼は働き始めても家賃を渡してくれない。
「ねえ」
彼氏の方は向かずに話しかける。顔を見るのも嫌になってきた。
「今日の晩飯なに」
「食べたいなら食費をちょうだいよ」
何かを察したのかこちらの言葉を遮ってきたが、家賃以外にも払ってもらえていないものは多いため逃げ道はない。
「お金ならこの間渡したじゃん」
「あれは先月の光熱費とか、水道費とか」
しかも5,000円。
そんなに難しいことは言っていないはず。前に給与明細をこっそり覗いたら手取りでも16万はあった。家賃も食費も光熱費も全部折半なのに、今は私だけが負担している。
「お金はお金じゃん」
キーボードの音に貧乏ゆすりの音が加わった。そういえば勤務時間はとっくに過ぎている。ご時勢でリモートワークが中心になったが、彼氏は家ではほとんど残業をしなかった。
「人間が生活するのに5,000円で足りると思ってるの」
「いいじゃんお前んちお金持ちなんだし」
1ヶ月前に彼が自慢気に買ってきたデスクトップパソコンはAmazonで20万円だった。一方2人の生活を賄う私の貯金は底をつきかけている。
「だから、私は仕送りしてもらってないんだってば。今使ってるお金は私の貯金なの。覚えてないの、私が貯めてた留学費のこと」
火にかけていたヤカンの蓋が蒸気に煽られて鳴り始めた。この半年の間で何度も話したことを繰り返されて思わず振り向く。20万円の画面にはFPSゲームが映っていた。
「ねえ、何を考えてんの、マジで」
「何が」
何かが切れた。堪忍袋とかそういう怒りの類ではなく、全ての感情が切れた。私が静かに彼氏を見放しても、彼の視線は画面から動かない。
「なんでもない」
次の日、出社日だった彼氏の荷物を全て外に出し、鍵を付け替えた。
(執筆者情報)
文芸学科/吉野萌
文芸研究III(谷村順一ゼミIII・2021)「800文字で書くオノマトペ」