横山博之さん(フリーライター、2000年卒)

「大切なのは変化が起こる前」 フリーライターの生き方

フリーライターという仕事は楽ではない。仕事の依頼はいつ途切れるかわからないし、常に世のトレンドを追わねばならない。そうした中でも最前線で活躍する方は、どのようなことを考えて仕事をしているのだろうか。2000年に日本大学芸術学部(日芸)を卒業し、現在はフリーライターとして活躍する横山博之(よこやま ひろゆき)さんに、在学当時の就活に始まり、ライターとしての仕事観、変化した世の中での実感などを尋ねた。

一風変わった「日芸就活期」

「日芸って、やっぱり変わっているんですよ」 開口一番、横山さんはこう語る。特に印象深いのが「就活」の時のエピソードだ。

「まず、大学が変なんです。大学にとって、卒業生の進路って成果のひとつですよね。だから何処の学校も、就活のサポートをする学生課や就職指導課の利用を生徒に勧めているわけで。しかし、なぜか当時の日芸では、“就職指導課”が非常にわかりづらい場所にあったんです」

「生徒が変」などと言われる日芸だが、学校も学校で大いに「変」である。ある意味かなりおおらかと言えた当時、先生方についても推して知るべし、だ。

「当時の先生方からは、『日芸からまともな会社に行けると思うな』なんて言われることもあったくらいでしたからね」

2021年現在こそ、日芸には立派な窓口を備えた就職指導課が存在している。だが2000年当時の就職指導課は、校舎の非常に奥まった場所にあり、一定数の学生は指導課の存在を知らなかったのだ。もっとも、現在も立派な窓口になったとはいえ、就活に利用する学生が“なぜか”少ないのではという印象は、昔から変わっていないと言えるのだが。

学生時代は体育会の合気道部に所属していた横山さん。連日稽古に明け暮れ、練習が終われば仲間たちと酒を飲み交わす、エネルギーに溢れた自由を謳歌する日々だったという。一方進路に関しては、なかなかに険しい道を歩む場合も多い。特に2000年卒の方々の進路について、横山さんはこう語る。

「運動部繋がりの先輩が運営する写真スタジオに入って経験を積んだり、一度出版社に入ってから独立したり……。2000年当時は就職氷河期でしたから、名の通った一般企業に就職した人はそう多くなくて。卒業後もバイトしながら芸術の道をひた走る人もいたし、“とりあえず手に職を”という感じで就職した人も多かったと思います」

世間的に見て、「芸術」を学ぶ大学生が少数派であることは言うまでもない。「芸術学部」は映像、絵画、文芸などの創作に特化した学問であり、少なくとも、「どこでも役に立つスキル」ではないのだ。
そんな日芸生が社会に出ることは、極論だが「大学で学んだことを生かして手に職をつけるか、生かせないとしても普通の会社に勤めるか」の二択であったとのこと。

「当時は、企業の日芸に対するイメージもいい加減でしたからね。とあるテーマパークの運営会社が社員募集をしていて、私はエンタメ業界に興味があったので応募したんです。でも、即不採用。理由は『美術の仕事はもう募集を締め切っている』ということでした。どうやら日芸という名前だけで、大道具・美術の制作志望だと思われたらしくて……」

OBからの誘いでライターへ

一筋縄では行かなったという就職活動。しかしそんな折、横山さんに転機が訪れる。きっかけは、所属していた合気道部だった。就職が決まらずにいた4年生の終わり、フリーライターとして働くOBに声をかけられたのだ。しばらく仕事を手伝わないか、という思いがけない申し出から、横山さんは出版の世界へと足を踏み入れる。

「いろいろな現場をまわってインタビューや撮影のアシスタントをしたり、テープの文字を起こしたり。そんなことを半年ほど続けていると、今度はOBの方が懇意にしていた宝島社から直接アルバイトの誘いをいただくようになり、コラム記事を作成するための資料集めをしていました。そして、いつしか『ここまで資料を集めたんだから、書いてみない?』と言われるようになって。そこからフリーライターとしての仕事がスタートして……ずるずると今に至る、という感じですね」

最後は冗談めかした横山さん。しかし、バイトからスタートした仕事は徐々に拡大。現在では男性向けのハイグレード・ファッションや循環型社会に関する記事、書籍のライティングなど、幅広く仕事をこなすライターとして活躍中だ。

部活動を通じて得たものは、就活のチャンスだけではない。武道に欠かせない礼儀について、横山さんはこう語る。

「年配の社長さんなどは、礼儀作法を非常に大切にされています。古臭く聞こえるかもしれませんが、ご挨拶の仕方や正しい立ち振る舞い方など……。これらは合気道部で教わったことでしたね。IT企業のフランクな若社長から、歴史ある企業の代表まで、取材の相手は様々です。せっかくインタビューの機会を設けて頂いたのに悪い印象を抱かせてしまうのはすごく申し訳ないですし、記事のクオリティを高めるにも、快く対応してもらえるよう配慮するのはとても大切なことなんです」

真剣に語る表情には、インタビュー相手への誠意が滲む。

100の注文に120で返す

幅広い分野の媒体でライティングを行う横山さん。例えば、メインで執筆している「モノマックス」では基本的に商品紹介系の、いわゆるボディコピーとしての文章を作成する。一方、「めぐりわ」のようなインタビュー記事では、実際に訪れた場所の空気感や情感を伝える文章としてライティングを行う。両者を読み比べてみると文章のテイストは大きく異なり、その理由について、横山さんはこう語る。

「掲載媒体によって文体はガラリと変えます。ライターは、想定読者の『こんな文章が読みたい!』というニーズのほかに、クライアントである出版社や企業の『こんなことを書いて欲しい!』というニーズにも応えなければいけません。クライアントの要望に答えながら、読者が読んでいて楽しいモノを作る。そのための文章作りは、ライターとしての腕の見せ所ですね」

ライターに必要な力は? と聞くと、パッと「文章力」と答える方は多いのではないか。多くの物書きにとって、文章力は確かに重要なスキルであることは間違いない。しかし、自分の書きたいことを書く「小説家」とは違い、「ライター」はクライアントの要望に沿った文章を作らなければならない。そのためには依頼に関して能動的な姿勢が必要だという。

「たとえばPR記事の場合だと、仕事の依頼は『メーカーなどの広告主→広告代理店→出版社の広告営業→出版社の編集者→ライター』、という流れになります。多くの方を仲介しているがゆえに、PR記事を掲載することの目的や想いが末端まで共有されにくいこともあるんです」

例を挙げると、自動車メーカーからの新車PRに関する依頼。この場合、『メーカー』は新車を開発した背景や特徴といった情報にもっとも詳しく、製品に寄せる熱い想いも抱いており、作成したプレゼン資料やミーティングを通じて各位に伝達することになる。しかし、そうした情報や想いは末端に行くほどわずかに歪んだり薄らいだりしてしまうそうだ。一部のライターは、そんな『出版の編集者』から又聞きした情報や資料だけでライティングを行う人もいるという。

「『出版社の編集者』や『広告主』が満足する内容に仕上げることは、その先にいる『読者』に有益でおもしろい記事を届けることに繋がります。そのため、“100”の注文に対して“120”の結果を返すため、『広告主』への直接のヒアリングは丹念に行いますし、自分でも依頼に関するテーマをリサーチするようにしています。指示待ちのライターよりも、出版社の方から見てわかる差をつけることは、フリーで仕事を続けていくには大切です。能動性がカギですね」

身を助けるのは平時の行い

社会の変化はなんの前触れもなく起こりうる。2020年に入って、多くの人がそう実感したのではないか。コロナ禍によって企業に所属しないフリーランサーや個人事業主は大きな逆風を受け、廃業に追い込まれたケースも少なくない。出版・編集社から委託を受けて記事を書く横山さんにも、相次ぐ取材のキャンセルやクライアントである出版社の事業縮小など、マイナスの変化が降りかかった。

しかし、苦境の時にこそ実を結ぶものは、平時の仕事によって積み重ねられると横山さんは語る。

「コロナ禍の始めこそ、予定していた取材がキャンセルになったことはありました。でも振り返ってみると、実はそんなに辛かったとは思っていないんですよ」

一度は減った依頼も、数ヶ月もすればコロナ以前のペースに回復。それだけでなく、インタビューのリモート化によって加速した仕事もあるのだとか。

「コロナ禍だからと、人が驚くようなチャレンジをしたわけではないんですよね。以前から、クライアントとの“信頼関係”を積み上げられたことに尽きると思います」

とある雑誌は、コロナ禍の影響からページ数を減少させたという。すると、製作費と外部への依頼先を絞らなくてはいけなくなる。依頼する側としては、より“信頼のおけるライター”に優先して仕事を回すようになる。

シビアな話にも思えるが、優先して仕事を回したいと編集者から思ってもらうこと。これには信頼関係が不可欠である。横山さんは続ける。

「例えば、私は酒の席での人付き合いが特別上手いわけではないんですよ。編集者とのコミュニケーションは、ほとんど仕事が全てです。企画出しや進行をしっかり行なったり、メールの返信をすぐに行ったり……。信頼関係の構築には、あたりまえのことを積み重ねるのが一番大切ですね」

そして、「あたりまえ」を積み重ねたその上で、横山さんには気をつけていることがあるのだという。

ひとところに胡座をかかない

突発的な状況の変化に対応するためには、自分自身をマネタイズする手段を幅広く持っておくことも重要であると横山さんは語る。例えば、自分が対応できるジャンルを幅広く持つといったことが挙げられるのだそうだ。

仮に、フリーライターとして活動しているとしよう。とある分野の家電製品に深い造詣を持っていて、依頼される仕事の多くもそれに関するライティングだとする。しかし、技術革新が起こって得意としていた分野が打撃を受け、新商品の発売が一斉に滞ったら? ライティングの依頼は減少し、結果的に生活に対して大打撃となるだろう。

このように、特定の狭い領域に胡座をかいてしまうのは、大きなリスクがあるという。

「もちろんひとつの分野を突き詰めるのは素晴らしいことで、その道の大家となればいろいろと展望が開けてくるでしょう。しかし、あらゆるものが目まぐるしく変化する今の時代、ひとつだけにベッドすることのリスクは増大してます。そのため、自分が属しているジャンルの将来を見極め、柔軟に変化していくことが重要です。20歳から60歳まで働くとして、その40年間、第一線を保っているジャンルはあまりありません。必ず衰退する時が来るし、コロナ禍のように劇的な変化も起こりうる。自分の領域を広げることが大切で、例えば、『時計』の大御所と呼ばれるライターの中には『インテリア』『アンティーク』など、多分野に渡って活動している方もいます」

そうした意味で、まだ日本では聞き馴染みのない「バイオエコノミー(生物由来の燃料や資源を使った経済活動)」を推進する「めぐりわ」のライティングは、横山さんにとって新たな領域だ。

「科学的なテーマを取材したりもするので大変ですが、新しい知識を得ることや人との出会いは刺激的で楽しいですよ。最近ではSNS上で小さなコミュニティを作って、そこで情報交換を行う人が増えています。ネットに氾濫する情報は、信頼度が低いというのが理由とのこと。そんな方々に向けても、しっかりした情報を発信したいですね。これからも時代にキャッチアップしていきたいと思っています」

コロナという劇的な変化の中で浮き彫りになった、人間同士の関係性。
横山さんの体験は、その中でも大切な「信頼」について考え直す、稀有な例なのかもしれない。

執筆者情報

文芸学科/西口岳宏
※この記事は2021年度「ジャーナリズム実習II」において制作されました。