創作物

エッセイ

花を買う

花なんてなんの役にも立たない。お腹は満たされないし、何かに使えるでもない。それなのに僕はたびたび花を買い、花を生けている。僕だけでなく、人というものは昔から花を生け、そして送りあっている。

贈答に花をチョイスされることは多い。たまに、花なんて送られても嬉しくない。何かに使えるわけでもないし、と言う人がいる。

その役立たなさが花の良いところであるのに。役に立たない、けれど美しい。かといって宝石のような「強い意味」を持たない。役に立たなさは優しさでもあると思う。役に立つものはいつだって押し付けがましくて、うるさい。花は余剰だ。余剰にはいつだって優しさを持っていてほしい、と僕は思う。

花は貰ってもいいし、自分のために自分で買ってもいい。

花を買うとき、僕は花屋に行く。

新宿にお気に入りの花屋が何店舗かあるので、たびたび立ち寄っては、美しいだけでなんの強さも持たないそれらを眺める。選んで、持って帰る。それを生ける。

人によって「花」は違うものを指す。それは散歩であったり、犬であったり、ゴルフであったりする。

僕は花を生けることが一番「花」っぽいなと思う。

だから僕は花を買うし、花を生ける。

花はちゃんと生けても、割とすぐ枯れてしまう。瑞々しさを持っているように見えても、花にとって一日は確実に重みがあり、一日経てば花は確実に「枯れ」に近づく。目を覚ませば寝る前と同じ部屋があり、パソコンを立ち上げれば昨日開いたタブが残っている。そんな、今日が昨日のコピーに思えるように設計された、現代の生活にはないものだ。

僕は、花は枯れてしまうというところ含めていいなと思う。

花が枯れて、花屋に行くと、前来たときとは違う美しい花々が並べられて、僕は前とは違う花を手に取り、それを生ける。いつもと同じ花瓶、同じ部屋を同じにしないために。

執筆者

文芸学科3年 渋谷ハルコ

この作品は2023年度エッセイ研究Ⅱの実習で制作されました。