エッセイ
一足す一は田んぼの田
田んぼっていいな、と最近気づいた。
小学生の頃とかはふざけて「一足す一は田んぼの田―!」とか言っていたけど、一足す一の答えじゃ足りないくらい魅力があると思っている。
私の生家は周りが田んぼに囲まれていて、六月くらいになるとそのほとんどに水が張られ、苗を植える。周りの家を含め私の家も米農家なわけで、田植えの時期になるととたんに家が騒がしくなるのだ。
今の時代、田植えもほとんど機械化されている。しかし、機械では手が届かない場所へは手で植えていく。田んぼの魅力の一つは、その田植えの段階にある。
田植えはまず地面の準備から始める。トラクターで土を荒く耕し、そこに水を入れていく。耕した時に自然とできた溝に剃って、水がニュルニュルと進んでいく。それが見ていると気持ちよくて、見入ってしまう。子供の頃、砂場に溝を作って水を流したことはないだろうか。それとおんなじ感じだ。
やがて一面に行き渡った水は、鏡のように空を映す。昼間は真っ青、夕方は真っ赤。夜は真っ黒に。白鳥だか白鷺だかが飛んできて、空が波紋状に歪む。
冷たい水に足を突っ込むと同じように空は歪んだ。その瞬間がまたたまらないのだ。プールに入る時のような。ヒルに気ぃつけぇよー、とおばあちゃんが言う。
足を入れたなら、すぐに下の土に行き着く。固いのかと思いきやふわふわで、沈み込んでいく。その感触は出来立てのパンケーキを踏んでいるみたい。一歩一歩パンケーキを踏み抜いていくと、アメンボたちがどんどん逃げていく。愉快愉快。
農家以外の人が田んぼに入れることは、滅多にない。興味本位で入ろうものならえらいことになる。近所の子供が特大の雷を落とされているのを、何度も見ている。だから田植えの手伝いで田んぼに入れる私は、いつも優越感を感じている。羨ましそうな近所の子供を横目にパンケーキを踏んでいく。悪趣味だなぁ、と思っただろう。その通りである。
植えたらそれではハイ終わり、というわけではない。
植わった苗が、鏡に映る空の雑音になるかと言われたらそうでもなく、むしろ苗の緑が加わることでいつも見ている空が生まれ変わる。
それに加えて、水面をのぞき込むといろいろなモノを見ることができる。前から住んでいたアメンボはもちろん、オタマジャクシがわんさかと。足の生えかかった子もいる。端っこの方にはちっちゃいタニシ。彼らを狙いにカモまでやってくる。たまに白鷺が一匹やってきて、優雅に佇み、そして去っていく。
田んぼは生き物たちの楽園なのだ。もちろん、それを見ている私にとっても。
執筆者
文芸学科3年 山口旭
この作品は2023年度エッセイ研究Ⅰの実習で制作されました。